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モノサシを伸ばそう

「生花祭壇」を上手に飾る大手とそうじゃないところ。

同じ時期に「生花祭壇」を始めた人を比較した場合でも、3年後には大手に所属している人のほうがそうじゃない人よりも圧倒的な技術力を持っていることは想像に難くありません。

「生花祭壇」の技術を身につけるほとんどのケースにおいて、最初は誰だって下手くそです。

それなのに技術力の差が時間の経過とともに圧倒的なものになっていくのは、「環境」が圧倒的に違うからなんですね。

自分が思うに、「環境」の違いとは「常識」の違いです。

「常識」とは当たり前のことであり、ある意味「モノサシ」のようなものだと思っています。

10cmのモノサシしか持ってない人は、11㎝のものが測れないわけです。

10cmのモノサシしか持っていない人にとって、11㎝のものというのは規格外であり「非常識」なものなわけですよね。

でも20cmのモノサシを持っている人にとっては、11㎝のものは規格内。まぎれもなく「常識」の範囲内であり、当たり前のことだったりするわけですね。

「非常識」を「常識」に変えていく。

そのためには今持っているモノサシを伸ばしていくしかありません。

難しすぎて出来ないという感覚は「常識」のような「非常識」です。

大手には上手に生花祭壇を飾る人がたくさんいます。
彼らだって最初は短いモノサシで「生花祭壇」を見ていたのかもしれません。

だからこそ「生花祭壇」を上手に飾る人がそばにいるという環境って大きいんですね。

持っているモノサシの長さの圧倒的な違いを肌で感じることができるわけですから。

今のままのモノサシじゃイカンと猛烈に感じることができるわけですから。

今持っているモノサシを必死で伸ばそうとする行為。これこそが正しい努力だと思います。

「常識」が変われば考え方の原点になる着想が変わります。着想が変われば着眼点が変わります。着眼点が変われば見えるものが変わってきます。

小手先のテクニックを身につけるためだけにがんばることが正しい努力ではありません。自分はそう思っています。

「生花祭壇」の技術を身につけるためには、「生花祭壇」を上手に飾る人がそばにいることがとっても大切です。

「生花祭壇」を上手に飾る大手とそうじゃないところの違いがまさにこの部分。

彼らは難しすぎて出来ないという「常識」のような「非常識」を克服してきた人たちですから。

そばにいる生きた教材から「正しい努力の方向性」を学び、実践している。

大切なのは小手先のテクニックではなく、正しい努力の方向性。

学ぶことの本質って、本来はそういったところにあるはずですからね。

今、ウチの生花祭壇講習を受講されている方におかれましては、これからも「モノサシ」の長さをガンガン伸ばしていっちゃってくださいね。

シェリールの生花祭壇講習は「正しい努力の方向性」を示す場所です。

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