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麻雀

夜中にパソコンのオンラインゲームで久しぶりに麻雀をしてみました。

点棒がなかったり麻雀牌をニギニギ出来なかったりと、いろいろと物足りなさは否めないわけですが、それでも麻雀っておもしろい。麻雀はホント良く出来たゲームだなぁとつくづく感じた次第です。

ここ数年、麻雀をする機会ってないんですね。やるべきことや麻雀以外のやりたいことのために時間を使うので。今後はさらに麻雀から遠ざかるかもしれない。それでも中学生で麻雀を覚えて以来、私は今でも麻雀が好きだということを再認識させられた夜でした。

今後どれほど麻雀から遠ざかろうと、自分が麻雀好きであることに疑いの余地はありません。それほどまでに好きでいられる麻雀の魅力って何なのか。自分なりに考えてみました。

麻雀って、人生や経営にほんと良く似ていると思う。

配牌はいつも不平等
人間は自分の生まれてくる環境を選ぶことって出来ないじゃないですか。まずは与えられた環境の中で生きていかなければならない。
麻雀においての配牌って、まさに与えられた環境そのものだと思うんです。配牌がいいからといって、それがアガリにつながるとは限らないし、配牌が悪くてもアガリにつながったりもする。

配牌という与えられた環境で自分が「やるべきことは何か」「どうのようにしたい」のか考える。その際に判断基準の重きを「やるべきこと」に置くのか「やりたいこと」に置くのかを状況に応じて判断しなくちゃいけませんよね。

奥が深いぜ~、麻雀。


不確実のもとでの判断
手を進めていくにつれ自分の手の内がテンパイに近づいてくると、不要な牌の選択の重要性は大きくなってきますよね。「何を切るか」という判断。自分に見えているのは、いつだって「自分の手の内」と「捨て牌」だけ。「敵の手の内」や「ツモの山」は見えないわけです。

つまり「自分の手の内」と「捨て牌」だけで「敵の手の内」や「ツモの山」を想像しなくちゃいけないんですよね。そんな手がかりの少ない「不確実」な状況下で想像力を働かせ、読みを効かせて不要な牌を捨てる行為って、まさに「人生の選択」そのものだと思いませんか。

人生においても経営においても100%大丈夫だと言えるような判断基準ってないですよね。

「選ぶ」ということは「ほかの可能性」を捨てるのだということ。その判断を常に不確実の状況下で行わなければならない。

切ないぜ~、麻雀。

運・不運はつきもの
麻雀やってると「流れ」を感じることってよくありますよね。
「そりゃないぜ~っ」って言いたくなるくらい、相手の「バカづき」に翻弄されることもあれば、「ニヤニヤ」「ウハウハ」が抑えられないくらい、自分に流れがやってくることもある。

人生や経営においても、うまくいかない時ってホント何をやってもうまくいきませんよね。「我慢」や「忍耐」が必要なことも多々あったりしますし。そうかと思えば、「モテ期」でも来たんじゃねっ?っていうくらい、やることなすことうまくいくような時もある。

麻雀の上手な人って、敵への無駄な振込みが少ないですし、状況がよろしくない時の「我慢」や「忍耐」をしっかりしますね。またそれと同時に「悪い流れ」を「いい流れ」に変えていくために、「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」に重きを置いて、ブレずにしっかりとやっている。

かっこいいぜ~、麻雀。

奇跡は起きない
負けが込んでくると、一発逆転を目指してついつい役満狙っちゃったりしますよね。しかも、かなりの無理をして・・・。でも奇跡って起きない。いや、ごくまれに遭遇したりはしますけど。自分であれ相手であれね。だから奇跡が起こるって勘違いしちゃうんですけど、まぁ起きないですよね。

人生や経営においても同様だと思います。

奇跡ばかりを求めていると、さらに負けが込むという悪循環に陥ってしまうことのほうが圧倒的に多いんじゃないかと個人的には思うんですけどね。

負けが込んでる状況なら、地味であっても負けを少しでも減らして、次の半荘に備えたほうが得策かなと。
次の半荘がなくても、次の麻雀の機会に備えて負けを少なくするほうがいいんじゃないかと思ったりするわけです。

シブイぜ~、麻雀。

持論ではありますが、自分の思う麻雀の魅力ってこんな感じです。麻雀分からない人には、訳のわからない内容だったかもしれませんけどね。


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